2010年03月23日

◆ 品質と、コストと、エコシステム経営

一部に、日本の製造業の品質神話が崩れた、といったような論調を耳にする。

恐らく、たとえばトヨタのリコール問題などに端を発しての意見だろうと思うが、どうも正しくないと感じる。

品質管理のバイブルと言われる、デミング氏のまとめた、品質管理論。その「デミング哲学」の根幹として、「デミングの14のポイント」があり、その一つに、「数値目標による管理をやめよ」というのがあるのだそうだ。

数値目標を強いられれば、その目標を達成するためには必ず品質が犠牲にされる、ということなのだろう。

これに照らすと、たとえばトヨタはさしずめ、売り上げや利益の目標を高く掲げた結果、品質がおろそかになった、という論旨なのだろう。

こういったポイントを、品質に関する全体を理解せずして鵜呑みにするのは危険でもあると思う。

まず、「数値目標」と十把ひと絡げにするのが良くない。数値目標とは売り上げのことか、利益のことか、シェアのことか、はたまたそれらの対昨年伸び率のことか。トンネルを掘削する回転刃。

また、ここには、「品質はコストである」という、変な暗黙の仮定、というより誤解があるような気がする。品質を追求することは、必ずコストアップにつながる、というような。

さらに、物作りのスケールアップと品質保証は、相反する命題である、という漠然とした仮定も介在していないか。だとしたらそれも、いささか乱暴な議論だと思う。

強調したいのだが、

品質は、コストアップ要因ではない

逆に、低品質こそが、コストである。

品質をおろそかにすると何が起きるかをちょっと想像すれば、すぐにわかるだろう。

消費者は離れる、クレームは増える、アフターサービスのコストは急増する、返品や返金を求める消費者も出てくる、2ちゃんでたたく人も出る、法的、社会的制裁もあるかも知れない、お客様センターのコールエージェントは疲弊する、修理保険の保険料は上がる、ブランドの信頼回復にコストもかかる、株価は下がる・・・あげればきりがない。

品質を落とすことは、コストカットには全く逆効果で、企業全体に、劇的なコスト増をもたらす。

普通の製造メーカーなら、このぐらい百も承知だ。トヨタなんて、こんなことは70年前から知っている。知っているだけでなく、「愚直」に、実践してきている。

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ここまで、「品質」を例にあげたが、同じ理由で、CSR(企業の社会的責任)を推し進めることも、コストではない。

さらに、同じ理由で、CS(顧客満足)追求も、ES(従業員満足)追求も、利益の足を引っ張るコストではないのだ。

*これらがもし、一般的に支持されている理論と逆のように聞こえるなら、私はやや言い過ぎであるか。
それなら、「長期的には」という但し書きをつけることにしよう。

すなわち、品質は、CSRは、CS追求は、ES追求は、また最近注目のダイバーシティの実現も、長期的に見れば、コストではない。むしろこれらを長期的視野でバランスよく追求しながら成長をはかることこそが正しい経営なのであり、また正しいだけでなく、長期での企業の繁栄につながる、「経営の勘どころ」なのだ、と。

顧客、取引先、従業員、株主、社会・・・すべての「ステークホルダー」に価値を提供できる存在になるためには、難しい舵取りが要求される。それは、地球上のさまざまな生命が、微妙なバランスを保った「エコシステム」を構成しているのと同じだ。

そのバランスを追求することこそが経営であるので、「エコシステム経営」と呼ぶことにしている。


紫陽花の上に、鮮やかな色の虫がいた。 


 

 
 
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2010年03月22日

◆ 米国でのトヨタリコール問題(2:アメリカへの疑問)

米国トヨタのあるトーランス市内の公園にて

前回はややトヨタに対して批判的な疑問を並べたが、次に、トヨタを擁護するわけではないが、アメリカ側にも問題はなかったか、という観点から疑問点を並べる。

▲疑問その4:トヨタは海外の工場においては、国内レベルの品質基準を貫いているのか?

>>これについては、トヨタの製造メソッドを現地にも持ち込んでいる限り、その運用も担保されているとみて良いだろう。従業員の質という議論も大丈夫だ。現に、トヨタはNUMMI(GMとの合弁工場)の例をあげるまでもなく、30年以上前から、GMが雇用していたUAW(全米自動車労働者連盟)の従業員をそのままトヨタ現地工場で採用し、トヨタ品質を達成してきた実績があるのだ。

▲疑問その5:今回の問題は、GMがトヨタに世界首位を奪われ、かつ米国自動車産業が国の支援なしには生きて行けない事態を確認したタイミングで起こった。今回のトヨタバッシングは、消費者の安全に名を借りた、アメリカの国益重視という側面が見え隠れしないか?

>>しないといったら嘘になりそうだ。つーか、おい、もしGMが同様の問題を起こしても、もちろん同レベルのたたき方をするんだよなアメリカよ!と訊きたい。


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▲疑問その6:トヨタの現地工場のある地域の国民感情はどうなのか。「トヨタ車を買うな」と発言した議員がいたらしいが、本気か?それは本当に国民のためか?

>>アメリカで販売されるトヨタ車を製造している、ケンタッキー工場やトロント工場の周辺では、トヨタ批判はほとんどない。全米で20万人の雇用を実現しているトヨタは、ジャパンからクルマを運んできて売りまくっている会社ではないのだ。アメリカ人が、誇りを持って製造、販売、サービスをして、現地の法人税を支払って地域に還元されている、コミュニティ市民企業なのだ。 ところでその一方でGMは、南米の工場で大量に生産していますが?

 トヨタ:米国での53年の歩み(出典:toyota.com)

▲疑問その7:そもそも今回の騒ぎは、アメリカ国民のためになっているのか?

>>今回の問題をチャンスとみて、続々と発生している集団訴訟。訴訟大国アメリカのお家芸だ。ただしこれは全く消費者の益にならない。トヨタがこれらの集団訴訟によって増加する費用の総額は数千億円に上ると試算されるが、そのかなりの部分は法律家(原告側、弁護側、検察側、裁判所、etc)に行く。潤うのは弁護士だけなのだ。そしてこの費用は、最終的には車両の価格に反映されて、アメリカ人が支払うことになる・・。

このように、時おり頭が悪いとしか思えない行動をとるアメリカという国。このような法的環境ゆえに、ビジネスモデルが成り立たず、業界ごと葬り去られた例もあるし、製品によっては(例えば一部のスポーツ用具やチャイルドシートなど)、その高価格を余儀なくされている最大の原価構成要素が、材料費でも設計費でも加工費でもなく、法的対応費用とPL(製造物責任)保険の費用である、という商品を買わされているアメリカ人・・・。目覚めなさいよ! と思うのは私だけだろうか。


アメリカは、世界有数のクルマ社会。(スタンフォード大学キャンパス)

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2010年03月21日

◆ 米国でのトヨタリコール問題(1:トヨタ側への疑問)

カリフォルニアを縦断するInterstate5フリーウェイ

この問題に関して、普通にトヨタが反省すべき点は、すでに散々なまでに内外のメディアに書かれているので、重複したコメントをすることに意味はないと思える。それらの報道をある程度フォローされてきた読者を対象に、以下にいくつかの補足的な視点を提供してみたい。

▲疑問その1:トヨタは事件の前に赤字転落を経験している。それを受けて、全サプライヤーに対してさらなるコスト削減を要請したが、こういうときに大切なはずの、品質や安全性で妥協してはいけないという注意事項を、改めて強調したか?

>>この質問をされたら、トヨタは痛いのではないかと思う。「いやもちろんです。トヨタに納入頂く部品については、品質最優先であることは、強調するまでもなく当然のことと皆さん理解して頂いてます」などと答えるのが関の山なのではないか。今回要求していた「乾いたぞうきんを絞れと言われて何度目」のようなコスト要求のなか、品質は、法的基準をクリアするレベルで十分、という発想に走る部品メーカーを、見て見ぬふりをしなかったか? 
 

▲疑問その2:海外、たとえば米国のトヨタでは、品質に問題が発覚したとき、すぐにメディア発表やリコール発表などの対応をとる体制と権限があるのか?

>>これについてもトヨタは、苦しい答弁になるのではないだろうか。たとえば人間の場合、熱いお湯に手を入れた瞬間、理性で判断する前に、勝手に手が引っ込む。これは、このような緊急事態の場合、人間の神経系統は、いちいち脳に判断を仰がずとも、熱いというシグナルが脊髄に到達した瞬間に、迷わず手を引っ込める命令が腕の筋肉にくだるからなのだ。トヨタの場合、この判断は、恐らくアメリカから太平洋をわたって本社に委ねられていたと推測される。

▲疑問その3:上記が仮にYesだった場合、かつ現地法人がそのような行動をとった場合、本社に嫌な顔をされそうだという心配を現法に与えていることはなかったか?

>>勝手な推測だが、見聞きするトヨタの企業文化から推測するに、このような懸念は、あった、と思う。


今日はややトヨタに対して批判的な疑問を並べたが、次回は、トヨタを擁護するわけではないが、アメリカ側にも問題はなかったか、という観点から疑問点を並べてみることにする。

トヨタのトロント工場近くのフリーウェイ
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2010年02月24日

◆ 企業の成功とは何か?


前回、これからの会社は誰のためにあるべきか、について書いた。

これをふまえ、では企業の成功とは何か、を考えてみたい。

DSCF0073.gif
 ・・株価の成長?
 ・・営業利益の確保と成長?
 ・・配当の最大化?


「株主のため」の部分を考えれば、それらも正解だろう。

でも、会社は、株主のためだけでなく、株主、顧客、従業員、取引先、社会、環境、のすべてに対して価値を提供すべき、と書いた。

従って、そこから導かれる「企業の成功」とは、全てのステークホルダーに貢献できる、長期にわたって維持可能なエコシステムを実現することにある。

そしてそのようなエコシステムは、その活動において、雇用も創造し、社会にも貢献する。

ではここで練習問題を。

次に記すような企業の状況があったとして、それは成功と言えるだろうか? また読者がそう思う理由は何か?

・・IT会社の上場で得たお金で、小さい頃からの夢だった宇宙旅行を実現した。何十億円とかかったが、全てキャッシュでまかなった。日本人初の個人宇宙旅行者となった・・・。

posted by Nobby at 23:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経営

2010年02月20日

◆ 会社は、誰のものか?


ホリエモン問題(正しくは、ライブドア事件)や、ほぼ同時期の村上ファンド事件が紙面を賑わしたころ、自然の流れのように、「会社は誰のものか」という議論が巻き起こったことを思い出す。一連の事件をみて、この疑問を皆が抱いたのだろう。たしか同名の本も出たような記憶があるので、アマゾンで調べたら、同時期にほとんど同名の著書が複数発刊されていたのには驚いた。

で、会社は、誰のものなのか?

それらの著書を読んでいないので、そこに答えが書いてあるのかを知らない。書いてあるのなら、どなたか教えて頂ければ幸いである。書評では、「ポスト産業資本主義の時代の会社、株主、経営者の生態を分析」といったトーンなので、恐らく、会社は株主のものでも、経営者のものでもない、ということなのだろう。


では、誰のものなのだろう?
DSCN1740.JPG
アメリカでは、経済学の教科書的な解答としては、株主のものとされる。少なくとも株式会社は。

そうか・・。それによると、会社は、株主のものなのか。

では、会社は「誰のものか?」ではなく、「誰のためにあるのか?」と問うたら、答えはどうなるだろう?

株主のためにあるのだろうか?

最近のトヨタのリコール問題で、豊田社長がアメリカの公聴会でやり玉にあがっているのを見ていると、アメリカにおいては、会社というものは消費者のためにあるべきだ、とでも言いたげである。

「Mr. Toyodaの説明ではまだ納得できない」 とする米議会の議員さんたちは、全く同じことが日本市場で、フォード車で起きても、果たして同じ批判をするだろうか。もしかしたら、その時はその時で、今度は、会社は株主(ってアメリカ人だな)のためにある、とか言ったりして(笑)。

日本に戻って、「誰のため」論の歴史をみると、バブル期からライブドア事件の前まであたりは、株主至上主義全盛だったように思う。

それ以前は、わからない・・・もしかしたら、大企業優勢の時代だったので、「会社は、会社のためにある」といった認識があったのではないだろうか。法人が、人格を持ち、その保身のために、いろいろなことを考えるようになる。いろいろなことを正当化し始める・・・。


会社はだれのためにあるべきか? ーー私は次のように思う。

株主、顧客、従業員、取引先、ひいては社会、そして地球という環境 ーー会社が関係を持つこれら全ての存在を、広義の「ステークホルダー」と呼ぶなら、会社は、全てのステークホルダーのためにある。もっと言うなら、会社は、全てのステークホルダーに対して、その存在意義を示す必要がある。

これは、決して新しい考えではない。でも、もしこれを読んで、斬新に感じられるとしたら、昨今のアメリカ中心の考えに影響されきっている人が多いからかもしれない。

これからの会社は、全てのステークホルダーに貢献できる、長期にわたって維持可能な「エコシステム」を構築するために存在するべきである。


サンフランシスコの街並みとゴールデンゲートブリッジ

 
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2009年10月25日

◆ いちばんのドル箱商品が、やばくなったら?!(Part 1)

自社のいちばんの主力商品が、必要なくなるとしたら、
 
あなたが社長だったら、どうするか?
 
それは実際に起こることだ。

 
例をあげよう。
 
デジカメになったら、フイルムは、いらなくなる。
 
写真用フイルムが、事業の「大黒柱」だったら、その事業からの収益で、たくさんの社員が食べているとしたら、どうすればいいのか?
 

次の選択肢から、選んでみてほしい。
 
(1) 仕方がない。それは時代の流れだ。その事業は大幅縮小をして、従業員もリストラをしよう。

(2) いや、縮小する市場だからこそ、「しんがり」においしい商売が残っている。競合他社は続々撤退するだろうから、最後の1社になるまで生き残って、しばらくの間、独占的地位で儲けよう。

(3)コンシューマ用写真フイルムがすたれても、医療向け、産業向けフイルムなどの特殊用途は残るはず。そこにリソースを集中し、さらなる技術革新につとめ、収益率の改善をはかるべき。

(4)いや、そもそも「フイルム」とは何か? レンズを通って焦点を結んだ「光」を画像に描くキャンバスだ。そう考えると、「デジカメ」にとっての「フイルム」は「受光素子」に他ならないはずだ。従って、CCDなどの開発にシフトするべきだ。

(5)デジカメになっても、人はプリントした写真は欲しいはずだ。すると「DPE」のニーズは残る、と判断できる。それに関連する機器や消耗品に資源を投入すべき。

(6)いや、フイルムというものを不要にした張本人はデジカメだ。フイルムの衰退と反比例して、デジカメの市場は伸びる。だから、たとえ不慣れであっても、デジカメ本体そのものに参入するべきだ。 

(7)いや、ここは、「写真」というものにこだわらず、長年培ったフイルム関連技術を活かす用途が見て取れれば、経験のない業界であっても積極的に参入すべきではないか?
たとえば、食品や、医薬品、化粧品などが考えられないか?

 
考え得る戦略の選択肢をこのように並べてみると、もうお分かりと思うが、ご存じ実在する一流企業がまさに経験しているチャレンジなのである。


そう、「富士フイルム株式会社」である。

ふつうに第三者が考えても、上記のように、7つぐらいの戦略が浮かび上がる。

さて、あなたがこの会社の社長だったら、どのような選択をするだろうか?
 
このブログの (Part II) に、実際に同社がとった行動を記したので、それを読む前に、あなたなりの答えを考えてみてほしい。

 
posted by Nobby at 10:56 | Comment(1) | TrackBack(0) | 経営