2010年01月28日

◆ 「市場シェア」議論の悲劇 (Part1) - トップは安泰か?

先日の記事「◆ [この製品が、いちばん売れてます] のワナ」で、ボロ勝ちしているある企業「A社」の話を題材に取り上げた。
 
それは実はいま起こっている現実の話で、タネを明かすと、製品はパソコン用のOSである。
 
つまり、もうお気づきと思うが、シェア93%のA社とはマイクロソフト、第二位のB社はアップル、そして新参のメーカー、C社とは、グーグルのことである。

 
検索とWeb広告の最大手グーグルは、パソコン用OSの開発に着手していることを明らかにした。そのOSが果たしてマイクロソフトのWindowsの安泰を脅かすものとなるかどうか・・・を議論するのが目的ではない。(この議論もしたいのだが、それはまた別の機会に)。
 

ここで議論したかったのは、経営者に求められる、「マーケティング脳」である。
 
一件安泰な事業を根底から脅かすものの兆候は、往々にして、市場シェアのデータからは読み取れないのだ。
 
なぜなら、市場自体が、別の新しい市場との競合にさらされ、淘汰されることがあるからだ。

 

LPレコードが、CDに。
カセットテープやMDが、iPodなどのポータブルデバイスに。
ワープロ機(って死語ですか?)が、パソコンに。

 

で、パソコンのOSに話を戻すと、それは果たして安泰なのか?
 
また、安泰かどうかというより、その市場でのトップシェアを維持することは、果たして本当に重要なのか?
 
大局観を持てないことを「井の中の蛙」というが、それどころか、その井戸の水が枯れつつあったら、井の中で結構、と言ってもいられないことになる。
 
グーグルは、「OS」という「井戸」の中に入って暴れて、そこで大きな顔をしているマイクロソフトをそこから追い出したい・・・わけではないのだ。グーグルは、井戸の中の水や魚など狙ってはいない。
 
はじめに私が読者に投げかけた質問は、OS市場で9割のシェアがあったら、安心ですか? というものだった。
 
決して安心ではない・・・どころか、そもそも、シェア云々と言っている場合ではない、のがおわかり頂けたかと思う。
 
シェアなんて、100%でも安心ではないのだ。というか、シェアデータは、経営者に何の安心も与えてはくれないと思った方が良いのだ。
 

posted by Nobby at 02:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | マーケティング

2010年01月23日

◆ その会社名、変えなさい。


前回のブログ(いちばんのドル箱商品 Part I & II) で書いたような、戦略の大転換があって、「富士写真フイルム」は、会社名から「写真」の二文字を取って、「富士フイルム」となった。

 

仮に将来、再度社名変更を行って、社名から「フイルム」の文字が取れたら、(まあこの場合「富士株式会社」では社名にならないので、福武書店がベネッセになったように、全く新しい造語か何かになるだろうが)、そのときあなたは驚き、疑問に思いますか? それとも、過去の栄光に頼らない革新を続けていく意志と覚悟の表われと受け止め、歓迎し、応援しますか? 
 銀座。
その昔、花王石鹸は、花王と社名変更をした・・。(余談だが、もっと昔、顔にも使える良質の石鹸を開発、発売したので、「顔石鹸」と呼んだのが「花王石鹸」社名の始まりだとか。)
 
もっと昔、「日本アスベストス」という、いまから見ると恐ろしい名前の会社が実在した。

その会社は今は「ニチアス」という社名になっている。
その理由はもちろん、変更前から内外で「ニチアス」と略して呼ばれていたことと、アスベストスの持つネガティブイメージを避けてのこととは思うが、社名変更としては、ちょっと安易かも。
 
もうひとつ本当にあった笑えない社名の話。
 

地球温暖化、オゾン層破壊の元凶の一つと言われるフロンガスの一種、フルオロカーボン。
日本ではCFCと略して呼ばれることも多く、ひと昔前は冷蔵庫やエアコンの冷媒として当たり前のように多用されていた。

 
しかしその環境への害が判明し、「オゾン層破壊物質に関するモントリオール協定」で、オゾン層に破壊的な影響を与えるとして、CFCは国際的に全廃を呼びかけられた。
 

そんなニュースが報道されるずーっと前から存在していた工業樹脂メーカー「フルオロカーボン社」(米国)が、企業イメージ上の「濡れ衣」のとばっちりを避けてあわてて社名変更を行ったのはいうまでもない。
 

posted by Nobby at 17:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | マーケティング

2009年09月28日

◆ 「この製品が、いちばん売れてます」 のワナ

IMG_3823svpsd.jpg「いちばん、売れてます♪」

「皆さんこれをお求めになられます!」

「部長、うちのこの製品、すごい伸びてます!」

こういう、あいまいな表現は、やめましょう。

当店でいちばんなのか? 今週に入ってのことなのか? それは先週から予約が入ってて、今週から出荷開始だったからではないのか? その店でその製品のメーカーリベートが入り、メーカーの負担でもってポイント2倍還元セールをしているからではないのか? などなど、我々はふだんから、マーケティング関係のデータに対しては、冷静に判断する態度を持っておきたい。

 では、そこは理解して頂けたとして、練習問題をひとつ。

 あなたはA社のCEOだ。

現在のA社のX製品の出荷個数は、全世界で約2.6億個近くにのぼり、シェアは93%とする。逆算すると市場規模は約3億個弱だということがわかる。一方、同カテゴリーの製品を持つB社は、シェア2位で、4%そこそこか。この市場では、その他のメーカーも存在するが、ほとんど視界に入ってこない。A社ではあまり意識もしていない。

なんのことはない、どこからどう見ても、あなたの会社の一人勝ちだ。過去のデータを見ても、あなたはこの市場が生まれてから30年間、トップシェアの座を脅かされたことがないのだ。そこへ最近、新参のC社が、この市場に参入すると名乗りをあげた。初参入なので現在のシェアはもちろんゼロだ。

こんなお気楽な話が実際にあるか、はおいといて、さてA社のCEOに就任したばかりのあなたは、何か緊急のアクションをとる必要があるだろうか?


posted by Nobby at 12:02 | Comment(3) | TrackBack(0) | マーケティング

2009年09月16日

◆ マーケティング脳というけれど・・

マーケティングは「科学」のはずなのに、いちばん数字が乱暴に議論されても、誰も不審に思わない・・。

たとえば、経営者は市場シェアに目くじらをたてる。それ自体は大切なことだけれど、



「シェアが伸びました!」

という部下の報告。うれしいニュースなので、とりあえず喜ぶ。経営者も人の子、自分のリーダーシップのもと、良いニュースは悪いニュースよりも、自然と強く印象に残る。報告を聞きながら、どうやって現場をほめようか、とか、その調子でもっといけ、とさらにハッパをかけることを考えたりする。

でも要注意だ。

わかりやすい例をあげると、自社のプラズマTVの販売が2%伸び、市場シェアは前年38%から45%に伸びて、シェアトップに躍り出たとしよう。担当部長は得意そうに報告してくるはずだ。ボーナス増額ぐらい期待しているのかも知れない。大繁盛なので、部署を増員してほしいと言うかも知れない。

だがちょっと待ってほしい。

まず、販売台数の伸びが2%なのにシェアが7%も伸びたというのはどういうことか。
これは、シェアを計算するときの「分母」、つまり「市場」が小さくなったときに起こる現象なのだ。

同じ時期に、液晶TVは市場規模が倍近くも伸び、消費者のニーズはプラズマから液晶に移行してしまっているかも知れないのだ。

これは極端な例だが、「市場シェア」という、自社販売数を市場規模で単純に割るだけの数字ひとつとっても、事業の存亡に関わるバッドニュースを、グッドニュースのように報告することだってできてしまうのだ。数字のマジック、いや、マジックとも呼べない小手先のいたずらだ。

上記の例でいうと、市場シェアの議論をしなくても、「A社、プラズマTV販売が好調 〜 前年比102%を上回る」 とかいった報道記事を漫然を読んでいると、180度間違った判断をしかねない。

posted by Nobby at 11:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | マーケティング

2009年09月05日

◆ マーケティングとは何か

「マーケティングとは何か」 を説明する、多くの試みがあるが、そのほとんどの場合、マーケティングの一側面を捉えて説明しているに過ぎないことが多い。

典型的かつ端的な例が、よくいわれる「4P」であり、「マーケティングミックス」である。この2つの言葉ほど、「なんだ、マー
ケティングってこういうものか。」と多くの人に思わせた罪の大きい言葉はなかったのではないか。

なぜ、マーケティングというものが、そのように限られた側面を狭義に議論し、理解している人が多いのか、と考えてしまう。

 
IMG_3302.jpg
 

その原因について、次のような仮説を立てた。

1.およそ20年ほど前は、マーケティングというものの進化レベルが今ほどではなく、いま筆者が狭義だと感じているその範囲が、当時としては一般的なマーケティングの概念そのものに近かったから。

2.そしてそれは、学界で、また同時に実戦のビジネスのなかで、いろいろな進化をとげてきており、今日のマーケティング論の体系に至るが、いま見かける議論の多くが、またいま活躍中のマーケティング人(?)の多くが、まだひと昔前のマーケティングだけを理解しているから。

3.日本などに比べて、アメリカでは、学界と産業界の隔たりが小さく、ゆえにそこは二人三脚で進歩しているように思える。とくに昨今は、マーケティングは事業会社主導でそのイノベーションが突き進んでいる時代であると強く感じる。

4.なので例えば、グーグルの、アマゾンの、アップルの、マイクロソフトの、マーケティング戦略を的確に説明できる「識者」が少ないというのも合点がいく。これが日本人の「識者」で、となると、さらに少ない。少なくとも私のせまい行動範囲では、お目にかかったことはない。これらの先進的企業の行動は、以前のマーケティングの体系では、説明ができないものが多すぎる。日本企業として、それらに匹敵するレベルの企業行動ができるかどうか以前に、理解ぐらいはできる人がもっと増えないと、日本の産業の将来は危ぶまれる、と言ってもいいのではないだろうか。ここに例示した先進的企業については、いくつもの書物に著されており、多くは和訳も出ているが、その訳者の理解度も、おそらく例えばそれら企業の日本法人幹部(特定の誰かをさすのではなく、一般論として)の、本社に関する理解度と大差ないのだろうと想像する。

1.については、その仮説の真偽は、ちょっと調べればわかることなのだろう。

 
ウインザー(ロンドン郊外)
 

たとえば、自宅の物置に、自分が使った当時のマーケティングの教科書があるかも知れないから、後日それを開いて、確かめてみようと思う。確かめる前の記憶で言うとすれば、自分がアメリカでマーケティングを専攻した1980年代前半においては、学界(?)のマーケティングの研究レベルもそれが最前線だったように思う。つまりそれ以降もし勉強を続けなかったら、自分もこのギャップに気付き、疑問に思うことなく、昔のマーケティングだけを理解し、実践している人のひとりでいただろう。

ここまで書いたことをふまえて、このブログでは、マーケティングとは何か ということを、テーマの一つとして、考えて行きたいと思う。

posted by Nobby at 00:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | マーケティング