過去2、30年ほどの円・ドルレートの折れ線グラフをみると、当時(1980年代半ば)の世界的なドル高に対して先進諸国が対応を合議・合意した「プラザ合意」以降、結局のところ、数年に一度のペースで、80円台から130円台の幅のなかで、レートが波打っているように見える。
そういった波動が存在しているとすると、ご存じのように80円台の現在は、その波動の高いところにいることになる。
円高は、日本経済を苦しめる、というのが通説だ。
それでなくても経済状況、雇用状況がよろしくない今日、円高が続くと、日本企業とくに製造業の国際競争力が弱められ、いいことない、というわけだ。
私たちは、企業の雇用削減などでその影響を感じる。
これをどう受け止めるか。
提案なのだが、円高を、何者かからの、僕たちへのメッセージと受け止めてみよう。
その昔、どんな企業に就職したら、私たちの親は一番安心したか。
銀行、保険会社、大手製造メーカー、総合商社、などか。
この円高では、自動車を国内で作って輸出してもなかなか成り立たない。なので国内工場は減産ないしは閉鎖、代わって市場の近くに工場を移す。従って国内での製造工場の雇用な減る。
同様に、日本語しかできない日本人の給与が、英語と日本語を勉強した中国人よりも高いなら、ホワイトカラー労働力としての日本人の国際競争力は極端に不利となる。円高でこの傾向はさらに顕著になる。
逆にアジアで製造して日本で販売をするユニクロのようなビジネスモデルは、円高はその競争力を増す追い風となる。
このようにして円高という現象は、様々な業種やビジネスモデルの明暗を分けている。我々はその現実をよく観察しよう。
そして、そこから聞こえてくるメッセージに耳を傾けてみよう。
勉強も、就職も、自分を磨く努力も、日本国内で終わってはいけない、というメッセージが聞こえてくるはずだ。
とはいうものの、肯定要素として日本人において「労働」はまだ「美徳」であると感じられる部分を挙げたいです。吉田さんのブログである「働きたい会社」でも感じたことです。おそらく民族的な教育形態なのでしょう。そういう意味ではアメリカ傾倒的な利益優先型企業統治よりステークホルダー優先型のドイツ型企業統治の方が日本人相手には合うのかもしれません。
それと同様に「生きるために知識を知恵とし、知性として分かち合う」今まで古くから当たり前のように行われてきた善き日本型にも周囲の状況に惑わされない進み方がある気がします。
「諸行は無常である」という先人の教えをウチに籠らず、外からそれを再認識出来た人が増えれば増えるほど、打つ手が広がるのだと思う次第です。