2010年03月30日

◆ エコシステムとは

エコシステムとは?

「エコシステム」の本来の英語「ecosystem」が使われ始めたのは案外古く、例えば1970年のサイエンティフィック・アメリカン誌に「エコシステムの栄養サイクル」(The nutrient cycles of an ecosystem)という記事が掲載されている。

日経のWebサイトでは、次のように説明されている。

『本来は生物学における生態系を意味する単語だが、近年ではビジネスにおける特定の業界全体の収益構造を意味する単語として用いられることが増えてきた。1つの企業の収益構造は一般的に「ビジネスモデル」と呼ばれるが、ある業界にかかわる複数の企業が協調的に活動して業界全体で収益構造を維持し、発展させていこうという考え方によるもの。』

何かしっくりこない。エコシステムは、収益構造ではないのだけれど。。
まあ、こういう意味でエコシステムという言葉を使うことも可能なのかも知れない。狭い意味では。

このほか、IT業界ではよく好んで使われているようだ。その場合は上記説明に近い意味合いで使われることが多いようだ。

ほかに、マーケティングの世界では、「企業コラボ」「クリエイティブな企業パートナーシップ」のような意味で使われ始めたようだ。(例:「コカコーラ・パークが挑戦する エコシステム・マーケティング」ファーストプレス刊)>でもこの場合は、企業間同士(本の中の例では日産とコカコーラ)で成立する関係のことのようなので、私の提唱する、企業におかれた環境の全ての構成員と関わりあうものという定義に比べると、これもやや狭義であるといえる。

森林でも、エコシステムが成立していたりする。


「エコシステム」は、「共生」をもっと広い視野でとらえるもので、ある生物を中心に考えると、関わりを持つ全ての生物、さらに生物でないもの・・・とりまく環境(大気、水、気候、土壌など)も含めて、長期で相互依存が成立している仕組みをさす。

ここでは、エコシステムを次のように整理して定義したい。

エコシステムとは、自然界において、生命体が自己の保身や利益・繁栄のためにとる行動に対して、他種や周囲・環境とともに全体の安定または繁栄が図られている仕組みのこと。二種類の生命体の間ではとくに「共生」(simbiosys)という言葉がある。(クマノミとイソギンチャクの共生などが有名。)この「共生」もエコシステムの一種といえる。一方、「共生」が互いの利益を図っているのに対し、片方だけが相手を利用する場合のことを「寄生」という。

このような意味を持つ「エコシステム」という言葉が、企業の経営のシーンでもあてはまると思うため、私(が最初ではないとは思うが)は自ら使うようになった。単に企業間の協力関係(アライアンスやコラボレーション)のことをエコシステムと呼んだりするのを見かけたことはあるが、これは正しくは上述のように「共生」だと思う。経営の話でエコシステムという場合は、特定の企業同士に限らず、取引先や消費者、株主、コミュニティなど、広く企業をとりまく構成員や環境との共存を図ることを意味するものとして使いたい。

同じように湖沼とそこの生物も、エコシステムだ。

生物学、生態学、環境学などにおける本来のエコシステムは、必ず生物(動植物、微生物)と、環境(気候、大気、水、土壌など)という非生物の相互関係の上に成り立つものと捉えるので、エコシステムという言葉をビジネスなど他の分野で応用する場合にも、このコンセプトに従うのが正しいだろう。
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たとえば経営学のうえでは、企業や消費者が本来(環境学)でいうところの各種生物になぞらえられるなら、同様にそのエコシステムの構成要素として、地域社会(コミュニティ)や経済制度などを本来でいう非生物の環境要素にあたると考えることで、エコシステムという概念が、その本来持つ「互恵・共存のしくみ」として様々な分野で成立していることがわかる。

企業の経営の場で、このことを意識することで、それまでは見えなかった、解が、見えてくる。・・・自社の利益だけを、あるいは上司だけを、部下だけを、株主だけを、顧客だけを、あるいは株価だけを、見ていたときには、見えなかった解が・・・。
posted by Nobby at 22:21 | Comment(7) | TrackBack(0) | 経営

2010年03月23日

◆ 品質と、コストと、エコシステム経営

一部に、日本の製造業の品質神話が崩れた、といったような論調を耳にする。

恐らく、たとえばトヨタのリコール問題などに端を発しての意見だろうと思うが、どうも正しくないと感じる。

品質管理のバイブルと言われる、デミング氏のまとめた、品質管理論。その「デミング哲学」の根幹として、「デミングの14のポイント」があり、その一つに、「数値目標による管理をやめよ」というのがあるのだそうだ。

数値目標を強いられれば、その目標を達成するためには必ず品質が犠牲にされる、ということなのだろう。

これに照らすと、たとえばトヨタはさしずめ、売り上げや利益の目標を高く掲げた結果、品質がおろそかになった、という論旨なのだろう。

こういったポイントを、品質に関する全体を理解せずして鵜呑みにするのは危険でもあると思う。

まず、「数値目標」と十把ひと絡げにするのが良くない。数値目標とは売り上げのことか、利益のことか、シェアのことか、はたまたそれらの対昨年伸び率のことか。トンネルを掘削する回転刃。

また、ここには、「品質はコストである」という、変な暗黙の仮定、というより誤解があるような気がする。品質を追求することは、必ずコストアップにつながる、というような。

さらに、物作りのスケールアップと品質保証は、相反する命題である、という漠然とした仮定も介在していないか。だとしたらそれも、いささか乱暴な議論だと思う。

強調したいのだが、

品質は、コストアップ要因ではない

逆に、低品質こそが、コストである。

品質をおろそかにすると何が起きるかをちょっと想像すれば、すぐにわかるだろう。

消費者は離れる、クレームは増える、アフターサービスのコストは急増する、返品や返金を求める消費者も出てくる、2ちゃんでたたく人も出る、法的、社会的制裁もあるかも知れない、お客様センターのコールエージェントは疲弊する、修理保険の保険料は上がる、ブランドの信頼回復にコストもかかる、株価は下がる・・・あげればきりがない。

品質を落とすことは、コストカットには全く逆効果で、企業全体に、劇的なコスト増をもたらす。

普通の製造メーカーなら、このぐらい百も承知だ。トヨタなんて、こんなことは70年前から知っている。知っているだけでなく、「愚直」に、実践してきている。

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ここまで、「品質」を例にあげたが、同じ理由で、CSR(企業の社会的責任)を推し進めることも、コストではない。

さらに、同じ理由で、CS(顧客満足)追求も、ES(従業員満足)追求も、利益の足を引っ張るコストではないのだ。

*これらがもし、一般的に支持されている理論と逆のように聞こえるなら、私はやや言い過ぎであるか。
それなら、「長期的には」という但し書きをつけることにしよう。

すなわち、品質は、CSRは、CS追求は、ES追求は、また最近注目のダイバーシティの実現も、長期的に見れば、コストではない。むしろこれらを長期的視野でバランスよく追求しながら成長をはかることこそが正しい経営なのであり、また正しいだけでなく、長期での企業の繁栄につながる、「経営の勘どころ」なのだ、と。

顧客、取引先、従業員、株主、社会・・・すべての「ステークホルダー」に価値を提供できる存在になるためには、難しい舵取りが要求される。それは、地球上のさまざまな生命が、微妙なバランスを保った「エコシステム」を構成しているのと同じだ。

そのバランスを追求することこそが経営であるので、「エコシステム経営」と呼ぶことにしている。


紫陽花の上に、鮮やかな色の虫がいた。 


 

 
 
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2010年03月22日

◆ 米国でのトヨタリコール問題(2:アメリカへの疑問)

米国トヨタのあるトーランス市内の公園にて

前回はややトヨタに対して批判的な疑問を並べたが、次に、トヨタを擁護するわけではないが、アメリカ側にも問題はなかったか、という観点から疑問点を並べる。

▲疑問その4:トヨタは海外の工場においては、国内レベルの品質基準を貫いているのか?

>>これについては、トヨタの製造メソッドを現地にも持ち込んでいる限り、その運用も担保されているとみて良いだろう。従業員の質という議論も大丈夫だ。現に、トヨタはNUMMI(GMとの合弁工場)の例をあげるまでもなく、30年以上前から、GMが雇用していたUAW(全米自動車労働者連盟)の従業員をそのままトヨタ現地工場で採用し、トヨタ品質を達成してきた実績があるのだ。

▲疑問その5:今回の問題は、GMがトヨタに世界首位を奪われ、かつ米国自動車産業が国の支援なしには生きて行けない事態を確認したタイミングで起こった。今回のトヨタバッシングは、消費者の安全に名を借りた、アメリカの国益重視という側面が見え隠れしないか?

>>しないといったら嘘になりそうだ。つーか、おい、もしGMが同様の問題を起こしても、もちろん同レベルのたたき方をするんだよなアメリカよ!と訊きたい。


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▲疑問その6:トヨタの現地工場のある地域の国民感情はどうなのか。「トヨタ車を買うな」と発言した議員がいたらしいが、本気か?それは本当に国民のためか?

>>アメリカで販売されるトヨタ車を製造している、ケンタッキー工場やトロント工場の周辺では、トヨタ批判はほとんどない。全米で20万人の雇用を実現しているトヨタは、ジャパンからクルマを運んできて売りまくっている会社ではないのだ。アメリカ人が、誇りを持って製造、販売、サービスをして、現地の法人税を支払って地域に還元されている、コミュニティ市民企業なのだ。 ところでその一方でGMは、南米の工場で大量に生産していますが?

 トヨタ:米国での53年の歩み(出典:toyota.com)

▲疑問その7:そもそも今回の騒ぎは、アメリカ国民のためになっているのか?

>>今回の問題をチャンスとみて、続々と発生している集団訴訟。訴訟大国アメリカのお家芸だ。ただしこれは全く消費者の益にならない。トヨタがこれらの集団訴訟によって増加する費用の総額は数千億円に上ると試算されるが、そのかなりの部分は法律家(原告側、弁護側、検察側、裁判所、etc)に行く。潤うのは弁護士だけなのだ。そしてこの費用は、最終的には車両の価格に反映されて、アメリカ人が支払うことになる・・。

このように、時おり頭が悪いとしか思えない行動をとるアメリカという国。このような法的環境ゆえに、ビジネスモデルが成り立たず、業界ごと葬り去られた例もあるし、製品によっては(例えば一部のスポーツ用具やチャイルドシートなど)、その高価格を余儀なくされている最大の原価構成要素が、材料費でも設計費でも加工費でもなく、法的対応費用とPL(製造物責任)保険の費用である、という商品を買わされているアメリカ人・・・。目覚めなさいよ! と思うのは私だけだろうか。


アメリカは、世界有数のクルマ社会。(スタンフォード大学キャンパス)

posted by Nobby at 04:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経営

2010年03月21日

◆ 米国でのトヨタリコール問題(1:トヨタ側への疑問)

カリフォルニアを縦断するInterstate5フリーウェイ

この問題に関して、普通にトヨタが反省すべき点は、すでに散々なまでに内外のメディアに書かれているので、重複したコメントをすることに意味はないと思える。それらの報道をある程度フォローされてきた読者を対象に、以下にいくつかの補足的な視点を提供してみたい。

▲疑問その1:トヨタは事件の前に赤字転落を経験している。それを受けて、全サプライヤーに対してさらなるコスト削減を要請したが、こういうときに大切なはずの、品質や安全性で妥協してはいけないという注意事項を、改めて強調したか?

>>この質問をされたら、トヨタは痛いのではないかと思う。「いやもちろんです。トヨタに納入頂く部品については、品質最優先であることは、強調するまでもなく当然のことと皆さん理解して頂いてます」などと答えるのが関の山なのではないか。今回要求していた「乾いたぞうきんを絞れと言われて何度目」のようなコスト要求のなか、品質は、法的基準をクリアするレベルで十分、という発想に走る部品メーカーを、見て見ぬふりをしなかったか? 
 

▲疑問その2:海外、たとえば米国のトヨタでは、品質に問題が発覚したとき、すぐにメディア発表やリコール発表などの対応をとる体制と権限があるのか?

>>これについてもトヨタは、苦しい答弁になるのではないだろうか。たとえば人間の場合、熱いお湯に手を入れた瞬間、理性で判断する前に、勝手に手が引っ込む。これは、このような緊急事態の場合、人間の神経系統は、いちいち脳に判断を仰がずとも、熱いというシグナルが脊髄に到達した瞬間に、迷わず手を引っ込める命令が腕の筋肉にくだるからなのだ。トヨタの場合、この判断は、恐らくアメリカから太平洋をわたって本社に委ねられていたと推測される。

▲疑問その3:上記が仮にYesだった場合、かつ現地法人がそのような行動をとった場合、本社に嫌な顔をされそうだという心配を現法に与えていることはなかったか?

>>勝手な推測だが、見聞きするトヨタの企業文化から推測するに、このような懸念は、あった、と思う。


今日はややトヨタに対して批判的な疑問を並べたが、次回は、トヨタを擁護するわけではないが、アメリカ側にも問題はなかったか、という観点から疑問点を並べてみることにする。

トヨタのトロント工場近くのフリーウェイ
posted by Nobby at 01:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経営