2010年02月27日

◆ 企業の危機管理 (Part2) - 企業理念にたち帰る

<Part I からの続き>

このLentz氏のビデオを見て、思い出した昔の事件がある。

1982年に、アメリカでダントツに普及していたジョンソン&ジョンソンの頭痛薬「タイレノール」に、何者かが青酸カリを入れた事件だ。

その結果、7人の消費者が、死んだ。

そして、ジョンソン&ジョンソンの社員も含め、全米の誰もが(マーケティングの専門家も含めて)、これで同社のドル箱商品「Tylenol」というブランドの歴史が終わった、と思った。

「もう、タイレノールは、終わり。 打つ手はないと思います。もう店頭でこの商品を目にすることは二度とないでしょう。この問題を解決できる方法がわかる人がいたら、即刻わが社で採用したいです。」 大手広告代理店幹部で当時のカリスママーケター、ジェリー・デラ・フェミナ氏は、ニューヨークタイムズ紙の取材にこう答えた。


 

tylenol.png
 
 

当時私もカリフォルニアで経営やマーケティングの授業をとっていた最中。連日この話題でクラスの議論になった。

ブランドが、事故や事件により大きなダメージを受けたとき、どうするべきか?

ブランドは利益の源泉、と考える風潮の強かった当時の大学では、次のような、冷めた意見も出た。

「そのブランドのイメージ修復コストが、新規ブランド立ち上げコストを上回るなら、ブランドを捨てて再出発するほうが得策。」

しかしそれは、ブランド政策の失敗としか言えないだろう。

消費者の心に、長期にわたって「マインドシェア」を形成してきたブランドというものは、そんな安易なものではない。

ジョンソン&ジョンソンCEOのジェームズ・バーク氏(当時)もそう考えた。

 
いや、正確には、彼はそう考えたのではない。
 
彼は、タイレノールを飲んで即死したMary Reinerさんの葬式をテレビで見て、泣いたのだ。
 
親類や友人のほか、マリーさんが数日前に出産したばかりの赤ちゃんを含め、4人の子供達がお葬式に参列していた。
 
そして彼は、自社ジョンソン&ジョンソンの信条(Corporate Credo)にたち返った。
 
そこには、こう書いてある。>>こちら


翌朝、バーク社長の迷いは消えていた。

 
彼は自らテレビに緊急出演、全てのタイレノールの店頭在庫(3千万本以上)を即時回収、廃棄すると発表する。

30年近く前の米国では異例の、利害を超えた対応で、ライバルメーカーを含め、業界中を驚かせた。

何人もの死者を出し、全国・全品回収を行った翌年、今でこそ当たり前になった開封プルーフキャップを実装、満を持しての再発売に踏み切る。

その結果、タイレノールの売れ行きはなんと事故前よりも伸びて、さらに30年近く経過した今なお不動の人気商品として3千万人に愛用されている。

このことは、まさに「雨降って地固まる」、「災い転じて福となす」、大企業トップの危機管理物語として、のちの経営学の教科書に載るまでの伝説となった。

(この青酸カリ事件を含め、企業の危機管理と消費者の信頼回復のテーマについては、まだまだ内外のエピソードがたくさんあり、紹介したいのですが、このブログの読者がそのへんに興味をお持ちかがわかりません。リクエストを多く頂いたらまた紹介することにします。)

トヨタUSAのLentz社長、絶対このことを知っていて、今回のビデオ作ったと思います。

posted by Nobby at 07:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 危機管理

2010年02月25日

◆ 企業の危機管理 (Part1) - トヨタのリコール問題

トヨタのリコール問題は、豊田章男社長が米国公聴会に召喚されるなど、外交問題的な様相もまじり、質問に立つ議員、なかでも米自動車メーカーの支援を受ける議員の選挙前パフォーマンスの思惑もまじり、一種異様な様相を帯びてきた。

そういったなか、アメリカ政府の見解はともかく、アメリカ国民の平均的なセンチメントとしては、トヨタはよくやっている、健闘している、という意見が大勢のようである。

自分もそこは同意だ。

米国トヨタ(Toyota Motor Sales USA - TMSという)の緊急CMが、ユーチューブに上がった。

大変良い印象のCMである。弁解はせず、真摯な反省のメッセージが込められている。
 
新しい窓でこの動画をみる


TMS社長Jim Lentz氏のビデオメッセージも、素晴らしい出来だ。こういうのはアメリカ人に好印象となろう。

 
新しい窓でこの動画をみる

 
 
豊田章男社長の対応は、アメリカの議会とメディアにかなりいじめられた。通訳を介して、ということでも批判にさらされやすいなか、非常に健闘されたと思う。
 
(c) 2010 Sankei News >>新しい窓で開く
 
アメリカの感覚では、このような問題のときにトップ自身が受けて立つことは必須で、どんな大企業でも、トップ以外にこの任務を代行させたら、それだけで致命的な批判を浴びる。この点の厳しさは日本とは比べものにならない。

この点は豊田章男氏は先刻承知で、公聴会の冒頭陳述のなかで豊田社長は繰り返し「私のリーダーシップのもと」という表現を使用したほか、「私自身も走行試験をする」、「豊田という私の名前にかけて」、と強調する。むろん側近の幹部が作成したスピーチではあるが、注意深く、よく作られている。この手のトップ対応に関するスピーチとしては、近年まれにみる完璧な名文だと思う。

ところでこのスピーチでは、「日本」という言葉を一切使わなかった点も注目に値する。「アメリカが、日本の企業をたたく」という構図になることは絶対に避けたかったと思われる。

一方で「20万人の米国の従業員」「すべての米国の販売店やパートナー」「米国のサプライヤー」「アメリカのトヨタ車オーナー」というふうに、「アメリカ」や「アメリカの雇用」は強調する。さすがだ。

<Part II に続く>

posted by Nobby at 17:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 危機管理

2010年02月24日

◆ 企業の成功とは何か?


前回、これからの会社は誰のためにあるべきか、について書いた。

これをふまえ、では企業の成功とは何か、を考えてみたい。

DSCF0073.gif
 ・・株価の成長?
 ・・営業利益の確保と成長?
 ・・配当の最大化?


「株主のため」の部分を考えれば、それらも正解だろう。

でも、会社は、株主のためだけでなく、株主、顧客、従業員、取引先、社会、環境、のすべてに対して価値を提供すべき、と書いた。

従って、そこから導かれる「企業の成功」とは、全てのステークホルダーに貢献できる、長期にわたって維持可能なエコシステムを実現することにある。

そしてそのようなエコシステムは、その活動において、雇用も創造し、社会にも貢献する。

ではここで練習問題を。

次に記すような企業の状況があったとして、それは成功と言えるだろうか? また読者がそう思う理由は何か?

・・IT会社の上場で得たお金で、小さい頃からの夢だった宇宙旅行を実現した。何十億円とかかったが、全てキャッシュでまかなった。日本人初の個人宇宙旅行者となった・・・。

posted by Nobby at 23:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経営

2010年02月20日

◆ 会社は、誰のものか?


ホリエモン問題(正しくは、ライブドア事件)や、ほぼ同時期の村上ファンド事件が紙面を賑わしたころ、自然の流れのように、「会社は誰のものか」という議論が巻き起こったことを思い出す。一連の事件をみて、この疑問を皆が抱いたのだろう。たしか同名の本も出たような記憶があるので、アマゾンで調べたら、同時期にほとんど同名の著書が複数発刊されていたのには驚いた。

で、会社は、誰のものなのか?

それらの著書を読んでいないので、そこに答えが書いてあるのかを知らない。書いてあるのなら、どなたか教えて頂ければ幸いである。書評では、「ポスト産業資本主義の時代の会社、株主、経営者の生態を分析」といったトーンなので、恐らく、会社は株主のものでも、経営者のものでもない、ということなのだろう。


では、誰のものなのだろう?
DSCN1740.JPG
アメリカでは、経済学の教科書的な解答としては、株主のものとされる。少なくとも株式会社は。

そうか・・。それによると、会社は、株主のものなのか。

では、会社は「誰のものか?」ではなく、「誰のためにあるのか?」と問うたら、答えはどうなるだろう?

株主のためにあるのだろうか?

最近のトヨタのリコール問題で、豊田社長がアメリカの公聴会でやり玉にあがっているのを見ていると、アメリカにおいては、会社というものは消費者のためにあるべきだ、とでも言いたげである。

「Mr. Toyodaの説明ではまだ納得できない」 とする米議会の議員さんたちは、全く同じことが日本市場で、フォード車で起きても、果たして同じ批判をするだろうか。もしかしたら、その時はその時で、今度は、会社は株主(ってアメリカ人だな)のためにある、とか言ったりして(笑)。

日本に戻って、「誰のため」論の歴史をみると、バブル期からライブドア事件の前まであたりは、株主至上主義全盛だったように思う。

それ以前は、わからない・・・もしかしたら、大企業優勢の時代だったので、「会社は、会社のためにある」といった認識があったのではないだろうか。法人が、人格を持ち、その保身のために、いろいろなことを考えるようになる。いろいろなことを正当化し始める・・・。


会社はだれのためにあるべきか? ーー私は次のように思う。

株主、顧客、従業員、取引先、ひいては社会、そして地球という環境 ーー会社が関係を持つこれら全ての存在を、広義の「ステークホルダー」と呼ぶなら、会社は、全てのステークホルダーのためにある。もっと言うなら、会社は、全てのステークホルダーに対して、その存在意義を示す必要がある。

これは、決して新しい考えではない。でも、もしこれを読んで、斬新に感じられるとしたら、昨今のアメリカ中心の考えに影響されきっている人が多いからかもしれない。

これからの会社は、全てのステークホルダーに貢献できる、長期にわたって維持可能な「エコシステム」を構築するために存在するべきである。


サンフランシスコの街並みとゴールデンゲートブリッジ

 
posted by Nobby at 22:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経営