2009年09月28日

◆ 「この製品が、いちばん売れてます」 のワナ

IMG_3823svpsd.jpg「いちばん、売れてます♪」

「皆さんこれをお求めになられます!」

「部長、うちのこの製品、すごい伸びてます!」

こういう、あいまいな表現は、やめましょう。

当店でいちばんなのか? 今週に入ってのことなのか? それは先週から予約が入ってて、今週から出荷開始だったからではないのか? その店でその製品のメーカーリベートが入り、メーカーの負担でもってポイント2倍還元セールをしているからではないのか? などなど、我々はふだんから、マーケティング関係のデータに対しては、冷静に判断する態度を持っておきたい。

 では、そこは理解して頂けたとして、練習問題をひとつ。

 あなたはA社のCEOだ。

現在のA社のX製品の出荷個数は、全世界で約2.6億個近くにのぼり、シェアは93%とする。逆算すると市場規模は約3億個弱だということがわかる。一方、同カテゴリーの製品を持つB社は、シェア2位で、4%そこそこか。この市場では、その他のメーカーも存在するが、ほとんど視界に入ってこない。A社ではあまり意識もしていない。

なんのことはない、どこからどう見ても、あなたの会社の一人勝ちだ。過去のデータを見ても、あなたはこの市場が生まれてから30年間、トップシェアの座を脅かされたことがないのだ。そこへ最近、新参のC社が、この市場に参入すると名乗りをあげた。初参入なので現在のシェアはもちろんゼロだ。

こんなお気楽な話が実際にあるか、はおいといて、さてA社のCEOに就任したばかりのあなたは、何か緊急のアクションをとる必要があるだろうか?


posted by Nobby at 12:02 | Comment(3) | TrackBack(0) | マーケティング

2009年09月16日

◆ マーケティング脳というけれど・・

マーケティングは「科学」のはずなのに、いちばん数字が乱暴に議論されても、誰も不審に思わない・・。

たとえば、経営者は市場シェアに目くじらをたてる。それ自体は大切なことだけれど、



「シェアが伸びました!」

という部下の報告。うれしいニュースなので、とりあえず喜ぶ。経営者も人の子、自分のリーダーシップのもと、良いニュースは悪いニュースよりも、自然と強く印象に残る。報告を聞きながら、どうやって現場をほめようか、とか、その調子でもっといけ、とさらにハッパをかけることを考えたりする。

でも要注意だ。

わかりやすい例をあげると、自社のプラズマTVの販売が2%伸び、市場シェアは前年38%から45%に伸びて、シェアトップに躍り出たとしよう。担当部長は得意そうに報告してくるはずだ。ボーナス増額ぐらい期待しているのかも知れない。大繁盛なので、部署を増員してほしいと言うかも知れない。

だがちょっと待ってほしい。

まず、販売台数の伸びが2%なのにシェアが7%も伸びたというのはどういうことか。
これは、シェアを計算するときの「分母」、つまり「市場」が小さくなったときに起こる現象なのだ。

同じ時期に、液晶TVは市場規模が倍近くも伸び、消費者のニーズはプラズマから液晶に移行してしまっているかも知れないのだ。

これは極端な例だが、「市場シェア」という、自社販売数を市場規模で単純に割るだけの数字ひとつとっても、事業の存亡に関わるバッドニュースを、グッドニュースのように報告することだってできてしまうのだ。数字のマジック、いや、マジックとも呼べない小手先のいたずらだ。

上記の例でいうと、市場シェアの議論をしなくても、「A社、プラズマTV販売が好調 〜 前年比102%を上回る」 とかいった報道記事を漫然を読んでいると、180度間違った判断をしかねない。

posted by Nobby at 11:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | マーケティング

2009年09月05日

◆ マーケティングとは何か

「マーケティングとは何か」 を説明する、多くの試みがあるが、そのほとんどの場合、マーケティングの一側面を捉えて説明しているに過ぎないことが多い。

典型的かつ端的な例が、よくいわれる「4P」であり、「マーケティングミックス」である。この2つの言葉ほど、「なんだ、マー
ケティングってこういうものか。」と多くの人に思わせた罪の大きい言葉はなかったのではないか。

なぜ、マーケティングというものが、そのように限られた側面を狭義に議論し、理解している人が多いのか、と考えてしまう。

 
IMG_3302.jpg
 

その原因について、次のような仮説を立てた。

1.およそ20年ほど前は、マーケティングというものの進化レベルが今ほどではなく、いま筆者が狭義だと感じているその範囲が、当時としては一般的なマーケティングの概念そのものに近かったから。

2.そしてそれは、学界で、また同時に実戦のビジネスのなかで、いろいろな進化をとげてきており、今日のマーケティング論の体系に至るが、いま見かける議論の多くが、またいま活躍中のマーケティング人(?)の多くが、まだひと昔前のマーケティングだけを理解しているから。

3.日本などに比べて、アメリカでは、学界と産業界の隔たりが小さく、ゆえにそこは二人三脚で進歩しているように思える。とくに昨今は、マーケティングは事業会社主導でそのイノベーションが突き進んでいる時代であると強く感じる。

4.なので例えば、グーグルの、アマゾンの、アップルの、マイクロソフトの、マーケティング戦略を的確に説明できる「識者」が少ないというのも合点がいく。これが日本人の「識者」で、となると、さらに少ない。少なくとも私のせまい行動範囲では、お目にかかったことはない。これらの先進的企業の行動は、以前のマーケティングの体系では、説明ができないものが多すぎる。日本企業として、それらに匹敵するレベルの企業行動ができるかどうか以前に、理解ぐらいはできる人がもっと増えないと、日本の産業の将来は危ぶまれる、と言ってもいいのではないだろうか。ここに例示した先進的企業については、いくつもの書物に著されており、多くは和訳も出ているが、その訳者の理解度も、おそらく例えばそれら企業の日本法人幹部(特定の誰かをさすのではなく、一般論として)の、本社に関する理解度と大差ないのだろうと想像する。

1.については、その仮説の真偽は、ちょっと調べればわかることなのだろう。

 
ウインザー(ロンドン郊外)
 

たとえば、自宅の物置に、自分が使った当時のマーケティングの教科書があるかも知れないから、後日それを開いて、確かめてみようと思う。確かめる前の記憶で言うとすれば、自分がアメリカでマーケティングを専攻した1980年代前半においては、学界(?)のマーケティングの研究レベルもそれが最前線だったように思う。つまりそれ以降もし勉強を続けなかったら、自分もこのギャップに気付き、疑問に思うことなく、昔のマーケティングだけを理解し、実践している人のひとりでいただろう。

ここまで書いたことをふまえて、このブログでは、マーケティングとは何か ということを、テーマの一つとして、考えて行きたいと思う。

posted by Nobby at 00:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | マーケティング